「 紹 鴎 森 」
樹齢六百年を越えるくすの木(大阪市保存樹林指定)の森は「天神の森」とよばれ、茶道中興の祖、武野紹鴎(千利休の師)がこの森の一隅に茶室を作り、風月を友として暮らしたので「紹鴎森」とも呼ばれた。秀吉公が堺政所に往来の途中、天満宮西側の茶店で休息。この付近の風景を賞したことから、この地を殿下の茶店-天下茶屋と称することになり
や茶道教室などを定期的に開催しております。
千利休ゆかりの地にちなみ教会では茶室を設けました。
茶室への露地を再現し、飛び石をつたって手水で浄め、にじり口より席入りします。
その力があなたにあり、
その心がシオンの大路にある人はさいわいです。
彼らは涙の谷を通っても、そこを泉のある所とします。
また前の雨は池をもってそこをおおいます。
彼らは力から力に進み、
シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。
(詩84:5-7)
利休時代、この地にわき上がる水がとても良かったので、武野紹鴎が自分の人生の終焉の住まいとして、ここを選んだと言われています。自然的にも清い泉が湧き上がっていた所へ、主は聖霊の永遠の命に至る水をわき上がらせるようにと言われました。看板の字を書いた人は、石田三成の肖像画を彼の骨から想像して描いた有名な画家「前田幹雄」氏です。
ここでは、お茶の愉しみ方をより多くの方に知っていただくために、茶会や茶道教室などを定期的に催しております。
利休はここ天下茶屋で秀吉のためにお茶を点てていたようです。秀吉はここでお茶を飲んで天神に参詣し、子どもを授かったそうです。キリスト教がとても盛んだったので、日本統一の邪魔になると言う讒言にあった様です。
そこで秀吉は伴天連追放令を出しました。つまりこの地から反キリストの霊によって日本統一を図ったのです。この地は多分サタンの座が築かれた所です。イエス・キリストがその諸々の支配と武装を解除された事を宣言し、日本が日本の君から解放されて、大リバイバルを引きおこすように、主イエス・キリスト教会の使命はそこにあります。